香川歴史紀行 -古から未来へ架ける橋-
ISBN:9784863870451、本体価格:2,000円
日本図書コード分類:C1021(教養/単行本/歴史地理/日本歴史)
166頁、寸法:210×297×10mm、重量618g
発刊:2013/10
【発刊にあたって】
昭和28年(1953)に生まれた香川歴史学会は本年、60周年記念誌を出すことにした。
61年目といえば、人間になぞらえると還暦にあたるから、再出発の門出の記念に香川歴史学会の活動の軌跡を記録し、将来の道筋を見据えようというのが、学会の目的でもある歴史研究に相応しく、本書刊行の意図ということにもなろう。
しかし本書の構成を一見しただけではそのような意図はうかがいにくい。本書は大きく二部に分かれる。考古、古代、中世、近世、近現代、民俗、宗教、美術工芸の8ジャンルに分けられた香川県下の歴史事象についての論考群と、「讃岐の船と海」をテーマとした論考群である。考古から近現代のジャンルは総合されて県史の特質を、民俗、宗教、美術工芸は県文化の特質を、「讃岐の船と海」は、テーマ名に示された県土の特質をさまざまなジャンルから考察したものである。
いずれのジャンルの論考も、主として平成元年(1989)3月に完成した香川県史編さん事業以降の新出史料を会員が考察したものであり、本学会の香川県の歴史研究への貢献を自負するところである。そしてこの自負は、香川歴史学会の活動の軌跡に拠って導かれ、未来に進むべき道筋を定めるものと確信している。
このように『香川歴史学会60周年記念誌』は会員が作り、会員が読む学会誌であるが、会誌らしくない構成である。本書は一般の読者も考えて作られたのである。会員以外の人々にも、「会員の歴史研究を共有して欲しい」とする思いからである。
私は、考古学を専攻し、大学の授業「観光資源論」で文化財、特に遺跡の活用を論じている。そこで問題にするのが、遺跡の発掘調査説明会の人気についてである。完全に復元された遺跡より、土中から出たそのままの「遺跡」に人々は惹きつけられるのである。何故か。人々は、そこにロマンを感じるからという。ロマンとは何か。「遺跡」から直接歴史を考えることであるという。遺跡に問いかけ、答えを求める。歴史を考えるとは「遺跡」と交流することである。過去とつながることである。自己の歴史上の位置が確認され、歴史的存在―実存の自覚が得られる。これが人々を「遺跡」に惹きつけるのである。
現在香川県埋蔵文化財センター主催で実施されている讃岐国府探索事業は、この「遺跡」と市民の関係をさらに進めたものである。市民は、現地説明会のように機会を限られて国府を考えるのではなく、生活の中で考える。国府を研究するのである。
あるいは、まったくの私からはじまった市民の研究も知られる。その一つが古代山城史跡屋嶋城の整備の発端となった高松の一市民の研究である。歴史のデータを生み出し、自己の歴史的存在性―実存を保障するものは遺跡そのものではない。遺跡の研究という行為である。同じ事が文献史料の研究、民俗資料の研究についても当てはまる。だが、この研究が研究者の中で完結するならば、この営為は個人への意義しか認められないのである。遺跡、文献史料、民俗資料は文化財、社会の財である。個人への意義に留まる研究は、遺跡等歴史資料の本来的価値を損なうものであるといわねばならない。
香川歴史学会の会員は60年間、香川県の歴史を研究してきた。県史のデータを生み出してきた。と同時に、市民としての歴史的存在性―実存に目覚める恩恵に与った。しかし、本年で40号目になる会誌『香川史学』を世に問うてきたけれども、その範囲からして研究活動の社会的意義についての自覚は希薄であったと思わざるを得ない。
香川歴史学会は、60周年を機会として、あらためて本会の活動の社会的意義を自覚し、その達成方法を検討した。その結論が本書である。「歴史研究を市民と共有すること」、これが本書の目的である。本書ができるだけたくさんの人々に読まれ、できるだけたくさんの人々が県土の歴史研究を楽しみ、実存感のある人生を送られることを願っている。
香川歴史学会会長 丹羽 佑一
【香川地域史研究の発展をめざして】
明治21年(1888)12月に愛媛県から分離して、最後の県として成立した香川県は、昭和63年(1988)に100年を迎えるため、置県百年記念事業として『香川県史』の編さんを行うことになった。昭和54年4月から本格的に編さん作業が開始された。
『香川県史』の編さんはすでに明治42年から翌年にかけて行われており、これは全国的にも県史編さんの取り組みとしては、早い方であったといえる。その後昭和12年に『香川県史』の編さんが計画され、同14年から18年にかけて史料編『香川叢書』3冊を刊行したが、太平洋戦争激化のため中断した。収集した多くの史料が高松空襲により焼失したという。そして昭和48年に開館した瀬戸内海歴史民俗資料館による積極的な海事史資料の収集、昭和54年から58年にかけて『新編香川叢書』の刊行も、置県100年の『香川県史』編さんの前提として貴重な仕事であった。
この『香川県史』の編さんは、10年後の平成元年(1989)3月までに、原始・古代、中世、近世Ⅰ、同Ⅱ、近代Ⅰ、同Ⅱ、現代、古代・中世史料、近世史料Ⅰ、同Ⅱ、近代・現代史料Ⅰ、同Ⅱ、考古、民俗、芸文の全15巻を刊行し、続いて別巻3冊が出された。
香川県における考古・民俗を含めた地域史の研究は、全国的にみると県史編さんがはじまるまでは、低調であるといわざるを得ない状況にあった。しかし10年間にわたる県史編さん事業は、新たな多くの資料の発掘による研究の進展により、香川における地域史の研究内容を全国的な水準にまで高め、また若手研究者の育成という大きな成果をもたらした。そして各部会での活動を通して、これまで香川ではほとんどみられなかった、共同調査や研究討議の重要性が認識されるに至ったのは、貴重な経験であったといえよう。
しかし県史編さんの終了時点で、時間的な制約のもと、収集した資料を県史の内容に十分反映することができなかったなど、問題も多く残された。横井金男香川県史編さん委員会会長は、県史編さん刊行の終わりに際し今後の重要な課題として、収集した多くの資料のうち資料編に収載できなかった資料が数多くあること、香川県の修史事業は香川県文化の基本事業として継続実施されるべきこと、公文書館等を設置して県史に関する資料を収蔵し公開利用をはかること、県史の研究発表の機関誌の発刊等が考慮されてしかるべきことなどを指摘されている(『香川の歴史』第10号)。
『香川県史』の刊行から5年後の平成6年3月に香川県立文書館が開館した。この文書館では県史編さん事業で収集した資料を保存し、また新たに収集した古文書の保存と目録の刊行、紀要の発刊が行われてきた。その他保存資料の企画展示、古文書解読講座などが実施されている。これらは県史の修史事業の一環として位置づけられてはいないが、県史編さんの成果等を普及させるものであった。今後は香川県立文書館が、香川県の修史事業の中核的存在としての役割を果たし、その体制を充実していくことが期待される。
その後平成11年11月には香川県歴史博物館が開館した。県史編さんによる成果を踏まえつつ、地域の歴史を一層豊富なものとする上で果たした役割は大きい。しかし同20年3月に香川県文化会館の美術部門と統合して、香川県立ミュージアムとなって、歴史部門の比重が軽くなったことは否めない。歴史博物館として、地域史研究の中心的な役割を果たすという面が弱くなったのは、惜しまれるところである。
『香川県史』の刊行が終わってのち、いくつかの自治体史が発刊されている。これらは『香川県史』の成果を十分に取り入れているのみならず、新たな資料の発掘・調査によって『香川県史』の不十分な点を補充し、一層豊かな研究成果が盛り込まれ、充実したその地域の歴史が明らかにされている。このことは地域史の研究が『香川県史』段階より進んできていることを物語っている。
香川地域史の研究会活動を地道に続けたきたのは、香川歴史学会である。機関誌『香川史学』は年1回の発行であるが、歴史・考古・民俗の研究論稿が掲載されており、平成25年には第40号を迎える。香川の地域史研究の核として、その研究を着実に発展させる役割を果たしてきたといえよう。
平成19年秋、地方史研究協議会大会が高松市で開催された。この高松大会は他の四国三県の協力を得て実施するということになり、香川歴史学会がその中心的役割を果たした。高松大会後に四国地域史研究連絡協議会(通称「四国地域史研究会」)が組織され、以後毎年四県の持ちまわりで研究会を実施している。香川歴史学会の四国地域史研究会での活動が期待される。
東かがわ市の歴史民俗資料館では平成16年3月より年報を発行しているが、単なる年報ではなく、東かがわ市地域の歴史関係の論文・史料紹介などを掲載しており、地域の歴史研究の核となっている。各地域の資料館においても、地域に密着した地道な調査、研究活動を続け、その成果を発表することが重要であろう。
また三豊市では平成21年6月に三豊史談会が発足した。例会活動を行うとともに、同22年6月以来、研究発表の機関誌として『三豊史談』が発行されている。この三豊史談会の活動は、地域の歴史研究を推進するものとして高く評価されよう。こうした研究会は県内の他地域にもいくつかみられるが、その活動や情報の交換を行う横の連携が今後望まれるところである。
以上見てきたように、『香川県史』完成後の、この20年余りの間に、香川の地域史研究が着実に進展していることは間違いない。そして今後のさらなる発展をはかるためには、身近な地域に根ざした歴史に関心をもつ人たちとともに、地域の研究活動を積極的に行っていくという努力をすることが肝要であろう。
木原 溥幸
【編集後記】
1953年7月に産声をあげた香川歴史学会は、今年で60周年を迎えることとなった。人間で言えば還暦である。昔は「人間50年」と言われた時代もあった。今は、日本人の平均寿命が延び、多くの人が還暦を迎えることが当たり前になっている。だが、歴史に携わる者として、還暦を迎えることがいかにすごいことであるかを歴史が証明していることを知っている。そのような歳月を経ながら、地域の歴史研究を発展させてきた本会の果たした役割は大きいといえよう。
2012年5月の理事会で、60周年を記念して記念誌を発刊すべきとの提言がなされた。その趣旨は、『香川県史』が刊行されて20数年の歳月が流れ、香川の歴史研究も大きく進展し、県史で語ることが出来なかった新しい事実が多々現れてきており、県民にその成果を還元することが、地域に根ざして活動してきた本会の責務ではないか、との声があがってきたからである。七月の総会で了承され、編集委員会が組織された。編集委員会では、ただ羅列された香川の歴史書ではなく、香川県の特色を示すものにしたいとの意見で一致した。
2010年に開催された瀬戸内国際芸術祭は、予想以上の盛り上がりを見せたが、これは瀬戸内海を舞台にしたことが成功の大きな要因であろう。香川県の歴史的特色を語る場合、瀬戸内海を無視することはできない。原始古代の時代から海の時代と呼ばれた中世、全国に名を知らしめた近世の廻船など、全て瀬戸内海との関わりの中から生み出されたものである。そこで本書は「瀬戸内の船と海」に主眼を置き、各時代をコラム的に記述して、香川の歴史を追求しようとした。全会員に記念誌への投稿を呼びかけ、寄せられたものをもとに編集委員会で検討した。
編集委員会は6回にわたって開かれたが、本業を持つ中での編集作業は遅々として進まない時もあった。必ずしも十分とは言えない冊子になっているかもしれないが、その熱意をくみ取って欲しい。
2007年に高松市で開催された地方史研究協議会大会で、「地域からの発信」が、歴史研究の上で最も重要であることが確認された。今、香川から、四国から、全国へ向けた地域史研究が発信されつつある。本書のタイトルを「香川歴史紀行-古から未来へ架ける橋-」としたのは、新たな香川の歴史を創造する原点をここから求めようとしたからである。本書には、今までに知られることがなかった地域の様相や、新しい成果を存分に取り入れることができた、と自負している。歴史は、常に流れを持つが、その流れは永遠に続けていかなければならない。そのような思いをもって編集した。本書がその一助となれば幸いである。未来へどのような架け橋が造られるであろうか、と期待をもちつつ……。
最後に本書の編集にあたり多くの方々にお世話になった。ご協力くださった関係者各位、原稿をお寄せ下さった会員諸氏、および出版をお引き受け下さった美巧社の方々に感謝の念をささげる。
『香川歴史学会60周年記念誌』編集委員会
編集委員長 橋詰 茂
「讃岐の船と海」 唐木裕志
「考古」 渡邉 誠
「古代」 渋谷啓一
「中世」 芳地智子
「近世」 仁木智惠
「近現代」 宮田克成
「民俗」 田井静明
「宗教」 萩野憲司
「美術工芸」 松岡明子
【目次】
『香川歴史学会60周年記念誌』発刊にあたって 香川歴史学会会長 丹羽 佑一
香川地域史研究の発展をめざして 木原 溥幸
讃岐の船と海
讃岐と吉備―近くて遠い国―(真鍋 昌宏)
中世の港町・野原をめぐって(上野 進)
島の港を探る(橋詰 茂)
廻船式目と鉄砲伝来(唐木 裕志)
高松藩御座船飛龍丸(御厨 義道)
讃岐三白「砂糖」の流通(萩野 憲司)
讃岐に「黒船」がやってきた―直島庄屋による「海岸取締役」―(山本 秀夫)
瀬戸内の和船と船大工用具(織野 英史)
移住と船(嶋田 典人)
宇高航路の今昔(因藤 泉石)
仁尾と直島のタイシバリ網(真鍋 篤行)
伊吹島のイワシ船曳網(真鍋 篤行)
香西のサワラ瀬曳網(真鍋 篤行)
備讃瀬戸の櫓屋と道具(織野 英史)
板図を中心とする船図面の収集と保存(六車 功)
考古
金山産サヌカイトの生産と流通(井上 勝之)
坂出市向山古墳の発掘調査の記録と記憶(井上 勝之)
香川県下の装飾古墳に見られる葬送思想(笹川 龍一)
藤原京の瓦を焼いた宗吉瓦窯跡(渡部 明夫)
讃岐に築かれた二つの古代山城(渡邊 誠)
阿野郡における南海道と河内駅家(藤好 史郎)
讃岐の中世墓点描(海邉 博史)
古代
万葉の島「沙弥島」(井上 勝之)
天平時代の「国の華」讃岐国分寺跡(仁木 智惠)
律令を伝えた讃岐びと(渋谷 啓一)
讃岐国最古の写経が物語るもの(渋谷 啓一)
伝説と地方史研究(大山 真充)
中世
仁尾における飢餓の身売り(芳地 智子)
南北朝の争乱と細川氏(小林 可奈)
讃岐秋山氏の西遷と由緒(小林 可奈)
讃岐戦国史における『南海通記』の検証(橋詰 茂)
「四国渡海」と讃岐の土豪横井氏―天正一三年羽柴秀吉発給の新史料について―(唐木 裕志)
土佐へ移った香川氏のその後(橋詰 茂)
讃岐中世石造物文化の系譜(松田 朝由)
北村美術館庭園にある旧白峯寺層塔について(松田 朝由)
近世
小豆島に石丁場を求めた土佐山内氏(橋詰 茂)
生駒時代の讃岐国絵図(田中 健二)
松平頼恭と宝暦の改革(胡 光)
高松藩における御林と野山(堀 純子)
高松藩の砂糖生産(宇佐美 尚穂)
町宿考―讃岐国京極氏領那珂郡今津村庄屋横井家文書から―(唐木 裕志)
奇才の科学技術者「久米通賢」と高松藩(芳地 智子)
井伊直弼と弥千代姫の悲話(胡 光)
理兵衛焼と富田焼(森下 友子)
「かんかん石」の名称(仁木 智惠)
幻の解剖図医学書―和田浜の名医合田求吾・大介兄弟―(胡 光)
近現代
戦争俘虜と収容所(嶋田 典人)
主基地方―大正天皇即位大嘗祭と香川―(宮田 克成)
香川の農民運動と普通選挙(和田 仁)
満州開拓の記憶をつなぐもの(野村 美紀)
川津村の寺子屋(谷本 智)
香川県教育会における中等教育要求(三谷 晃人)
讃岐の人々と写真との出会い(野村 美紀)
近代をつくった高松の大工棟梁・久保田家(大西 由子)
漁業の歴史を変えた「ハマチ養殖」(萩野 憲司)
名所・屋島の近代史(野村 美紀)
民俗
香川県の獅子舞(高嶋 賢二)
香川県のももて祭り(田井 静明)
香川県域の負子の形態と呼称(織野 英史)
農具職人槍屋と犂大工(織野 英史)
香川県東部の炭焼きと新居式窯(六車 功)
仁尾のボラ地曳網と絵馬(真鍋 篤行)
香川県に残る「亀の浮木」絵馬(田井 静明)
宗教
大般若経の流布と熊野信仰(萩野 憲司)
異界の海にのぞむ中世寺院―志度寺と白峯寺をめぐって―(上野 進)
中世讃岐の寺社勢力―大興寺を例にして―(唐木 裕志)
讃岐のキリシタンとキリシタン禁制(溝渕 利博)
宇多津への金毘羅神領寄進の影響について(丸尾 寛)
庄屋道中記に見る近世の宗教観―史料紹介を兼ねて―(唐木 裕志)
安政の南海地震と四国遍路(武田 和昭)
四国遍路の明治維新(宮田 克成)
法然上人讃岐配流旧跡伝承地探訪(近兼 和雄)
美術工芸
法然寺造営試論―諸尊像造立の視点を中心に―(三好 賢子)
本山寺の秘宝(胡 光)
景勝を創る―金刀比羅宮と象頭山十二景―(松岡 明子)
長町竹石と讃岐の文人たち(堀 純子)
讃岐の刀鍛治・真部盈永と「盈永文書」(大西 由子)
栗林公園の北庭芝生広場と松平頼寿伯銅像(松岡 明子)
編集後記(橋詰 茂)
協力者一覧
【著者紹介】
〔編集者〕
香川歴史学会
〔編著者〕
橋詰 茂
唐木 裕志
渡邊 誠
渋谷 啓一
芳地 智子
仁木 智惠
宮田 克成
田井 静明
萩野 憲司
松岡 明子
〔著者〕
井上 勝之
因藤 泉石
宇佐美 尚穂
海邉 博史
丸尾 寛
高嶋 賢二
胡 光
御厨 義道
溝渕 利博
高嶋 賢二
笹川 龍一
三好 賢子
三谷 晃人
山本 秀夫
小林 可奈
松田 朝由
上野 進
織野 英史
森下 友子
真鍋 昌宏
真鍋 篤行
大山 眞充
大西 由子
谷本 智
田中 健二
渡部 明夫
嶋田 典人
藤好 史郎
武田 和昭
堀 純子
野村 美紀
六車 功
和田 仁