江戸時代の四国遍路を読む
ISBN:9784863871496、本体価格:2,000円
日本図書コード分類:C3025(専門/単行本/歴史地理/地理)
238頁、寸法:148.5×210×15mm、重量378g
発刊:2021/06
【あとがき】
四国遍路の歴史的な研究に関わりを持ってから、ようやく10年余りになる。その間に拙い論稿を書いては各研究誌に投稿したり、『四国辺路の形成過程』(岩田書院、平成24年)と『四国へんろの歴史』(美巧社、平成28年)も刊行することができた。現在も相変わらず四国遍路の歴史には関心を寄せており、新出資料の存在やすでに知られていたものの中に、なんとなく気になるテーマも浮上してくる。しかし、まとまりのある文章化もできず、中途半端なものばかりとなっていた。さらに最近になり、かつて発表した拙論についての反論論文などが出てきたことも、何かと気にかかるところである。ひとつづつ、なんとかしなければと思っていたものの、思い通りに進まず、時が経ってしまうばかりである。ならば一冊の本にしてしまえば、一気に片づくと考えて、その方向で進めてみた。まずは十章の論題を揃えることから始めた。できるだけ新出資料を優先することに努めたが、一章あたり原稿用紙40~50枚としても十章とすれば、400~500枚になる。容易なことではないと実感しながらも入稿できたのは、思い立ってから半年ほどで書き上げることができたのは私自身、少々の驚きである。しかし、いつものように校正に手間取り、思いのほか時間がかかり、予定よりも随分と遅れてしまった。ともあれ新出資料を三章ほど掲載でき、また気にかかっていたことも何とかクリアーして、ようやく、ここに上梓の運びとなった。
本書は江戸時代全般の四国辺路の諸相を明らかにすることを目的としたものである。特に新出資料の出釈迦寺版『日記』、安政六年『四国順拝道中略記』、『安政七年~萬延元年納経帳』には、数多くの興味深い事項が確認でき少しは成果を示せた。また納経帳を用いて江戸時代の遍路道の展開を明らかにするとともに「安政の南海地震」と四国遍路との関係を整理、まとめることに努めたが、なんとか目的は達成できたように思う。
さらに江戸時代の四国遍路の中での重要人物も無視できない。まず『四国辺路日記』の著者である澄禅が上げられよう。ついで真念、細田周英、武田徳右衛門などが頭に浮かんだが、本書では澄禅について、今まで語られることのなかった梵字悉曇の能書家としての本来の人物像を示したが、まだまだ十分ではなく、さらに今後に期したいと考えている。細田周英については拙著『四国辺路の形成過程』で、すでに詳しく述べたので本書では取り上げなかった。武田徳衛門については喜代吉榮徳師や小松勝記氏の優れた論考があり、筆者が新たに述べるものはない。残りは大法師真念である。真念の詳しい人物像は容易に判明しがたいが、大坂寺嶋に本拠をおき、高野山との関係も密接であった。そして遍路道に道標を建立、遍路屋の設置、『四国辺路道指南』の発刊、そして四国の霊場を20度あまりも巡ったということまでは分かっている。それにしても真念は何のために四国遍路を数多く巡ったのであろうか。大法師という僧侶としての身分を考慮すれば、真言密教における加行や伝法灌頂は受けておらず正式の密教僧(阿闍梨)とはいえず(浅井證善『へんろ功徳記と巡拝習俗』参照)、四国内の霊地・霊山で虚空蔵求聞持法などの密教の修行を行っていたとは考えにくい。さて真念とほぼ同時期に大淀三千風が四国辺路して『四国辺路海道記』を残したが、その記によれば、あるとき西念という四国辺路に精通した修行者と遭遇した。そして三千風はこの西念の道案内でしばらく旅を続けたのである。つまり元禄時代頃以前は、まだまだ先達が必要な四国辺路であったとみられよう。このことを前提に真念の人物像について考えてみた。本書33頁の図は真念『四国辺路道指南』(瀬戸内海歴史民俗資料館本の序九丁裏、序又九丁表・以下『道指南』)の図である。ここには男女6人がみられるが、おそらく遍路姿の四人は二組の経済的に裕福な夫婦であろうか。天秤棒を担ぐのは荷物を運ぶ強力である。そして先頭に位置し、後ろを振りかえる僧侶姿の人物は道案内人、つまり先達と考えてみた。そして、この人物こそ真念その人ではなかろうかと思いついたのである。つまり四国遍路の先達としての真念で、『道指南』の中に自らの姿を掲示したのではないかと想定した。このことは確たる証拠があるわけではなく、筆者がここ10年余りの四国遍路の歴史的研究からの単なる思いつきである。さらに想像を逞しくして真念をみてみたい。高野山との関係が密接であることは間違いないが、山内のどこかの寺院に属して修行や宗教的な活動をしていたとは考えづらい。なぜなら高野山・宝光院の高僧・寂本に促され、奥院の洪卓とともに『四国遍礼霊場記』の資料集めに奔走したことを考慮すれば、おそらく奥院のあたりで他の法師、大法師などともに、何らかの活動をしていたことが推察されよう。そこで思いついたことがある。当時、高野山は全国各地から参詣する人が数多くいた。その中には四国遍路を希望する者もいたであろう。どのような方法であるかは分からないが、四国遍路を希望する大師信者に積極的にアプローチしていたのではなかろうか。その結果として先記した『四国辺路道指南』の挿図にみられる先達としての真念が本来像ではないかと考えてみたのである。何度も先達として四国を巡るうちに、迷いやすい遍路道に道標を建て、宿泊所としの善根宿の存在を示し、札所と札所の距離や目印などを記録した極めて実用的なガイドブックとしての『道指南』の刊行を企画したのではなかろうか。そこには出釈迦寺・宗善の存在が無視できない。
以上は筆者の想像した真念の人物像である。明確な資料に基づくものでないことから本文で触れるには、いささか躊躇され、場違いであることは承知しているが、ここに記した次第である。江戸時代の四国遍路を語るとき、真念の業績はまことに大きく、偉大である。しかし、いつどこで生まれ、誰のもとで得度し、どこで修行したのかは全く不明である。今後ともこのあたりのことが明らかになることはかなり難しいであろう。それが真念の実像とみている。しかし何らかの形で、人物像を明らかにすることが、四国遍路研究の大きな課題でもあるが、なにぶんにも根拠となる資料が見つからないのがネックで、今後の新出資料を切に願うばかりである。
さて先記したように、本書は十章の項目で構成するつもりで進めていたが、一つだけ、どうにもまとめることができず、再校の段階で没にした論稿がある。その一つとは六十六部に関わる納経帳のことである。六十六ケ国の数百件に及ぶ「納経受け取り状」の国別、経典名、納経先などを整理・分析するが、何度計算してもその数がうまく合わない。計算が合わないままに発表するわけにはいけない。そして四国遍路と六十六部行者との関係も明確に導き出せない。そのようなことで、仕方なく没にした次第である。急遽、代わりの論稿を書くことも考えたが、すぐには見つからずついに断念し九章となった。
本書に掲載の拙論は一部を除き新稿で構成したが、入稿から発刊までを担当してくれた(株)美巧社から初稿の段階で、全体的に少し難しいとの評をえていた。そこで一章ごとに本文を要約した概説を設け、それを読めば少しは分かり易くなるのではと考えてみたのである。まずは概説を読んでいただければ、本文の内容がかなりの程度、理解できるように、やや詳しく書いた。この試みは蛇足とのそしりを受けないかと、いささか心配ではあるが、是非とも概説を読んで頂きたい。
最早や古希をはるかに過ぎた。体力も思考能力も日々に衰えてくるのを実感する今日この頃である。さらに原稿を書く気力も徐々に薄れ、机に向かう時間が少なくなった。ただ没にした六十六部の納経帳のことが気にかかる。皮肉なことだが、最近になって新たな興味深い遍路資料も入手した。あわよくば本書の続編を著すことができれば望外の幸せである、などと考えているが、どのようになるか私自身にも想定しにくい今年の春である。
最後になったが、本書出版に際し関係者には有り難いご協力をたまわりましたことに深く感謝申し上げるとともに、今回も(株)美巧社には入稿から校正、発刊まで心あたたく進めて頂き厚く御礼を申し上げる次第である。
【目次】
概説
第一章 江戸時代初期頃の四国辺路資料
はじめに
一、石造物
二、伊予・太山寺の札挟みと納札
三、澄禅『四国辺路日記』にみる辺路衆の実像
四、四国を巡った人達
五、『説経・苅萱』「高野の巻」と四国辺路
おわりに
第二章 四国辺路における大辺路・中辺路・小辺路考
はじめに
一、大辺路・中辺路・小辺路の研究史
二、筆者の見解
おわりに
第三章 新出の天和四年・出釈迦寺版『日記』について
はじめに
一、元禄元年版『(ユ)奉納四国中辺路之日記』の内容
二、(仮称)『天和四年版奉納四国中辺路ノ日記』
三、出釈迦寺の創建と大法師宗善
四、真念と宗善の関係-おわりにかえて-
第四章 安政六年の『四国順拝道中略記』と三ケ国遍路
はじめに
一、『四國順拝道中略記』の概要
二、三ケ国遍路の研究史
三、『本日記』から分かる三ケ国遍路
おわりに
第五章 安政の南海地震と四国遍路再考-新出の『安政七年~萬延元年納経帳』を参考として-
はじめに
一、安政の南海地震
二、阿波・伊予・讃岐の三ケ国遍路
三、四ケ国を巡った納経帳の例
四、『安政七年~萬延元年納経帳』(個人蔵)の分析
五、『安政三年納経帳』改竄説に答えて-おわりにかえて-
第六章 納経帳・遍路日記から見た遍路道の変更-八八番大窪寺から阿波へのコース-
はじめに
一、澄禅・真念・周英時代の遍路道
二、納経帳からみた遍路道
三、遍路道の経路と変更
四、遍路日記にみる順路
五、まとめ
おわりに
第七章 四国霊場・月山と篠山考
はじめに
一、月山
二、篠山
三、納経帳と遍路日記に見る月山と篠山
おわりに
第八章 五十五番札所南光坊本尊について
はじめに
一、今治別宮・五十五番三島ノ宮における大通智勝仏
二、明治時代以後の南光坊本尊・大通智勝仏
三、大三島・東円坊の大通智勝仏
おわりに
第九章 澄禅の人物像再考
はじめに
一、澄禅の履歴
二、澄禅の生国と願成寺
三、智積院と願成寺と澄禅の関係
四、澄禅の著作
おわりに
あとがき
【著者紹介】
〔著者〕
武田 和昭