讃岐の医学と蘭学
ISBN:9784863871038、本体価格:1,500円
日本図書コード分類:C1021(教養/単行本/歴史地理/日本歴史)
222頁、寸法:148.5×210×13mm、重量335g
発刊:2019/02
【おわりに】
第8代将軍吉宗は宗教関連以外の蘭書の輸入を認め、蘭書は若者層にも浸透し、蘭学勃興への足がかりとなる。そして、諸外国の文化や学問は長崎を通じて我が国に伝えられ、これらを長崎で直接習得したいという学究の徒は後を絶たなかった。
今回、讃岐における長崎遊学について調べてみると、江戸中期から始まり、末期までの約百年間に58名が遊学した。医師が49名で、他は儒者3名、僧侶2名、天文学、数学、本草学、水産学の各1名である。限られた家系の、限られたエリートがこれを可能にしたと言えよう。勇んで出かけるものの、遠い他国への旅、水杯を交し家族と別れたに違いない。なお、「長崎遊学者辞典」によると、全国からの長崎遊学者は1,052名で、県単位で見ると、香川県はベスト5に入りいささか驚く。
拙宅の近くに、讃岐から始めて長崎遊学をした久保桑閑やシーボルトに学んだ柏原謙好の屋敷跡があり、近年、長崎遊学者に興味を持つ。そして、これら学徒の来歴や活動を調べる。彼らは京、大阪などで学び、さらに新しい学問を長崎に求める。何代かにわたり、また、親子や兄弟ともども遊学した家系がある。
これら学徒は帰郷後にはそれぞれの分野のリーダーとして活躍し、著書や詩歌を残す。また、17日間の旅日記、「長崎道中記」や藩主松平頼恕の奥方の診療録、「御奥様拝診備忘録」などは当時を知る貴重な資料として興味深い。それにつけても、彼らの生き様からは学ぶことは多い。暇に任せて、その出生地や活躍した現場を訪ね、時には、故人の墓にお参りした。
さて、本著「讃岐の医学と蘭学」は遊学者の実態を随筆風にまとめた記録で、香川県医師会誌に約6年間、シリーズで記載したものを、今回、少々加筆して一冊の本に纏めた。遊学者は概ね生年月日順に、主な参考文献もそれに沿って記載した。
本著の執筆に当たっては、佐々木礼三氏が昭和30年前後の香川県医師会誌に掲載した「讃岐医人伝」に負うところが多く、佐々木氏に万謝したい。加えて、香川県史、各市町村史なども参考にしたが、私の勘違いによる間違いもあろう。加えて、この時期に長崎遊学した讃岐人はまだ他に居るかもしれない。お気づきの点があれば、ご指摘いただきたい。
最後に、本随筆の企画や出版に当たって、お力添えをいただいた岩崎泰憲、内海健二、太田 剛、小川太一郎、柏原荘一、片山泰弘、金崎智裕、川嶌眞人、木下義晴、合田昭作、後藤伸雄、佐々木良英、田山泰三、津川 力、冨田忠孝、野口雅澄、松原奎一、矢田智行、山崎敏範、山本哲司の各位並びに、香川県医師会、高松市歴史資料館の諸氏に深甚なる謝意を表したい。
【目次】
01 讃岐の医学
02 長崎遊学した学究の徒
03 長崎遊学の時期と目的
04 久保桑閑にはじまる長崎遊学
05 久保家と一族の活躍
06 豊浜の合田求吾と大介
07 吉雄耕牛と合田求吾、大介兄弟
08 解体新書の前に書かれた「紅毛毉述」
09 我が国初の西洋人体解剖図と人骨図
10 我が国初の西洋人体解剖図と人骨図(続)
11 讃岐に移住した築地正見とその一統
12 勝間村の安藤義陳と愿庵、並びに高瀬の医家
13 松原道齊と「蘭方医学図譜」
14 大野原の荘野清常と合田惟衷、並びに近世の医家
15 三豊郡麻村の西宇周造と藤田文良
16 但馬来山と藩主御奥様の御産備忘録
17 親子が長崎遊学した六車家と門野家
18 岡内章平の長崎道中記
19 高瀬郷の白井家
20 小豆島の中桐文炳
21 川西村の大平國吉と周禎
22 柏原謙好一族と柏蔭物語
23 檀紙の綾養元、鎌田貞堅と近世の医家
24 三井眼科一門と三井金鱗
25 三木良斉と小豆島の種痘
26 多度津南鴨村の塩山浅太と周辺の医家
27 有馬摂蔵緒方洪庵門下の三蔵
28 百相村の中条貫作、横山良平、尾形松斎
29 蘭医ポンペに学ぶ三好晋造と黒田程造
30 羽床村の秦象朔と周辺の医家
31 讃岐の近代化に貢献した高坂柳軒
32 柞田村の横山梅荘とその碑
33 他の分野で活躍した古川斎、菅順益、藤井半雲と盛正家
34 讃岐の長崎遊学者(医者以外)
志度の平賀源内
香南の中山城山
牟礼の柴野碧海
引田の久米通賢
大川郡南野の伊藤弘
安原の藤澤東畡
三木郡井戸村の智幢
三谷村の藤川三渓
高瀬の和気宥雄
おわりに
【著者紹介】
〔著者〕
西岡 幹夫