和紙の里紀行 ~続『和紙周遊』~
ISBN:9784863870550、本体価格:2,000円
日本図書コード分類:C1021(教養/単行本/歴史地理/日本歴史)
440頁、寸法:148×210×25mm、重量640g
発刊:2015/02
【序章 和紙技術探索のガイダンス~近代化と競う紙漉きの気概~】
民芸運動の提唱者柳宗悦は、運動推進に当たって、発刊する機関誌『民芸』のデザインに凝った。特に装幀、用紙及び印刷を重視していた。最初の一年の本は洋紙を採用したものの、第二年目以降は和紙に改めている。そして、その意図を次のように綴っている。
「和紙を活かして使いたい年来の希望の第一歩である。広まりさえすれば、かなり安くできる見込みがある。産業にまで発展させたいものである。日本人は和紙に冷淡過ぎる。西洋崇拝の余弊である」(『工芸』第13号「編集余録」)。そして用いられたのは、因幡楮紙、雲州椏紙楮紙、越前鳥ノ子紙、石州市山椏紙、野州烏山楮紙、武州小川楮紙、丹波東八田紙、越中八尾楮紙であった。
宗悦が好んだ、上記のような紙は、どのようにして造られているか、紙に関係する仕事に従事され、その分野に興味を持っている方々は無性に心を惹かれるところではなかろうか。
このような柳宗悦の運動に共鳴されて、手漉き和紙の研究に従事された壽岳文章、町田誠之などが愛された和紙は美しく、たおやかで、強く粘りがあり、その用途も書写材料だけでなく、多方面に使われている紙で、日本文化の形成にも大きな影響を与えた。
もともと製紙技術は中国から導入された技術ではあるが、長い間に日本の工人が、その緻密なセンスで改良改善し、研ぎ澄まされた技術として日本文化の根底をなす工芸材料として全く別もの物につくり変えていたのである。世界中の手漉き紙を調査研究されたダード・ハンターは和紙を最も美しい紙だとし、久米康生によれば「和紙の用途は極めて広範囲にわたる」と論評されておられる。
平成26(2014)年11月を目指して、文化庁は和紙技術を世界に強くアピールするために、島根県の石州半紙(2009年に無形文化遺産登録済み)に加えて岐阜県の本美濃紙及び埼玉県の細川和紙をユネスコの無形文化財遺産としようと提案し、予定通り平成26(2014)年10月末決定された。また、越前和紙も「その製作用具及び製品を文化審議会が、平成26(2014)年1月付で重要有形民俗文化財」に指定することが答申されている。和紙の文化財としての役割を振り返れば、十分承認が期待できるであろう。
和紙をこよなく愛された壽岳文章は和紙を使いたいと相談されると、必ず「紙漉きの現場を訪ねなさい」と忠告されたと聞いている。民芸のスタートは、まず「見る」ことから始まるからである。和紙を使い、楽しむためにも、まず、造られる現場をよく観察することである。
筆者は、偶々旧通商産業省工業技術院四国工業技術研究所(現経済産業省産業技術総合研究所四国センター)に籍を置き、製紙技術を担当し、機能紙分野の研究を行ってきた。
同所には中小企業の問題として、県立製紙試験場(当時)と連携して、技術指導、技術相談、巡回指導という制度があり、県の製紙試験場職員とともに製紙現場に赴き、色々と技術的な問題を話し合う機会が多くあった。機能紙の規範になるのが、和紙技術であった。
当時、私達の研究所では海外の研究所と研究協力をしており、外国産の製紙原料や靭皮繊維の発酵精.(生化学パルプ化)についても研究をしていた。そのような背景で、現場を訪れては、紙漉きの工人たちと話し合う機会があった。そのような機会を活用して、現地事情を色々教えて頂いだき、同時に、現場を見学させて頂く機会が多々あった。
紙漉き場は、多くは水源の多い、林木の豊かな、過疎の環境にあり、静寂な里にあった。当時はアクセスするのに時間がかかった。しかし、そこで職人魂に触れると、心が和み、また紙の研究の意欲が湧き上がるのを感じた。
しかし、反面、その仕事は、当時は特にわが国の高度経済成長期にあり、科学技術は日進月歩で、一般庶民の生活スタイルが変わり、手漉き紙は高価なものとして受け取られ、紙漉き職人の生活を圧迫することが多かった。現場で、その苦労話に耳を傾けていると、彼らの仕事に対する意気込みは高く、民芸運動にもいたく共鳴し、品質としては、千年は持つ和紙をつくろうと努力していると滔々と語る方が多かった。
多くは一回きりの訪問が多かったが、該当県の研究者が案内役、相談役として同行されることが多く、このような機会を持てた職場に勤務出来たことは幸いであった。訪問に当たっては、手漉き業者は仕事の手を休めて、貴重な時間を割いて、真摯に対応して下さった。
筆者は、漉き場から帰ると、現場の記憶が薄れないうちに出来るだけ迅速に現場の事情を中心に書き出し、探訪記の形式にしてまとめて、紙の博物館の機関誌『百万塔』、『民芸手帳』(現在廃刊)、『かみと美』(現在廃刊)、『くらしと紙』(現在廃刊)などに投稿を続けてきた。
この貴重な調査記録の一部は、先に『和紙周遊―和紙の機能と源流を尋ねて―』として発刊した。その調査はその後も引き続き行ない、その範囲も全国にわたっているので、新たに「和紙の里紀行」を探訪される方々の指針となることを目途に体験的記録に基づくガイドブックとして編集した。訪問した和紙は全国にわたるが、紙幅の関係で、代表的な和紙の里十五箇所にとどめた。再録できなかった和紙の里は巻末に掲載誌のリストを掲げているので、見て頂きたい。記録時と編集時の時間的ずれで、時代背景は若干違うところもあろうが、紙漉きの工人達の思想は基本的には子孫に継承され、また「和紙の里」としての環境も変わってはいるが、基本的な背景は大局的にはあまり変わりはないと思われたからである。しかも、車社会になり、高速道路網が整備され、かつての辺鄙な「紙漉き村」は、交通の便利な、環境に恵まれた「和紙の里」へと変身しているように思われる。
「和紙の里」の訪問録は、古くは壽岳文章・壽岳静子『紙漉き村旅日記』(明治書房、1945)が著名で、他に訪問のためのガイドブックは久米康生『私の和紙地図手帳』(木耳社、1975)、『手すきの紙郷』(思文閣出版、1978)、林正巳『和紙の里』(東京書籍、1986)、最近では菊池正浩『和紙の里 探訪記』(草思社、2012)などあるが、本書とはそれぞれ視座が異なっている。
本書は、殆どが県の製紙試験場の技術者というガイドが付いて、この足で現場を訪れ、抄紙技術、紙漉きのあり方など現場の人たちの声に耳を傾け、色々議論したりしているところを虚心坦懐に綴ったのが特徴である。本来の訪問の目的は技術指導、技術相談であるべきであったが、それは遙かに筆者の能力を超えているとわきまえ、紙漉きの工人たちの技術、生き方の紹介にとどめている。
本書で取り上げた訪問地は、すべて紙の博物館の機関誌『百万塔』に掲載されたものを書き改めたものである。その時期は高度経済成長期の我が国の科学技術が急速に伸びた時期に当たり、紙漉きを止める方も多くあった。ただ、紙漉き技術やその思想はその子孫に受け継がれており、漉き手は変わり、漉く環境も変わってきているが、その違いを配慮すれば、技術の進歩を推し量ることができるであろう。
【終章 編集を終えて】
本章で述べた、私の「和紙の里」を訪問してから、ざっと20~30年過ぎていた。その間、国際協力事業団の仕事として、タイ国のカセサート大学でカジノキの植栽研究に携わり、同国の手漉き紙(サー・ペーパー)の発展を目の当たりにした。その間、製紙原料の供給は国際的に流通していることを学び、和紙技術はもっとグローバルに捉えねばならないとの心証を深めた。
私がそのような仕事に携わっている間に、我が国は高度経済成長を終え、成熟経済の新たな展開の段階に入り、政治体制は大きく変わり、産業構造も大きく変った。当然、和紙産業を支えてきた環境も基盤も変わった。
その変化を壽岳文章は「和紙づくりの現状~風物詩として片づけられてはたまらない~」(毎日新聞、昭和52年6月20日、『柳宗悦と共』、209~211頁、総合社、1980)と題して、高度経済成長の勃興で起こる手漉き和紙の衰退の現状を端的に総括され、昭和の末に予言されておられた。
「テレビで伝統的な和紙づくりとして、NHK、民放、JRなどの広報誌は国の選定保存技術者の漉く美栖紙、程村紙、清長紙などを風物詩的にとり上げているが、質も量も世界に冠絶する栄誉を持ち続けてきた和紙の、戦後は甚だしい、この衰退の元凶は、池田内閣以来、自民党の指標となり、今も見果てぬ夢のまださめやらぬ高度経済成長政策である」と政策を批判する一方、「にもかかわらず、踏みとどまっているのは、文化庁内で和紙、和漆などの優れた技術保存のために情熱を生一本な性質の若い技官あり、その呼びかけに答えて、父祖代々継承してきた技術の伝統を堅持しようと意気込む青年たちが、少数ながら各地にあり、加えて、草深い地方に住むそれらの熱心な人々と寝食を共にしながら、技術の習得に励む海外からのまじめな留学生のいることに心打たれるからである。
無意識のうちに優れた文化財が生産される幸福な時代は、もはや望めないとしたら、それらの血脈相承は、生産品の社会的・美的価値を強烈に意識する個々人の粘り強い自覚に待つほかはない。そういう人も、最近、和紙づくりの世界にあらわれてきた。亡びるか、亡びないか。私は和紙の将来性を、今取り上げた範疇に属する少数の手にゆだねたいと思う」と結ばれた。
これが高度経済成長過程での、壽岳文章の予言であった。生産効率を至上とした経済成長は確かに手漉き和紙を追い込んだが、壽岳先生の言われた、文化庁の和紙担当調査官とは柳橋真氏のことで、同氏の提唱で「手漉き和紙青年の集い」が結成され、和紙に情熱を傾ける青年達が育ち、各産地で手漉き和紙が消えていく傾向は歯止めがかかった。
この会は年一回の集いであったが、柳橋氏が二十五回目の京都大会で、解散を宣言されたにもかかわらず、若い有志により装いを新たにして継承されて今日に至っている。手仕事に愛着を持った人たちは減るどころか、逆に生きる証として和紙技術を伝承しようとしている若人が出てきている。同時に、久米康生氏らにより「和紙文化研究会」も創設された。
一方、伝統技術でつくられた手漉き紙を使う市場も決してなくなっていなかった。歴史ある文化財としての重みが定常的な供給を求めた。
壽岳氏の言われた海外の留学生とは、当時はティモシー・バレット氏、フランスワーズ・ペーロー氏などを指すものと思われるが、昨今はグローバル化が進み、手漉き和紙に興味を持つ外国人は増えている。そして、「クール・ジャパ」として、アニメ、ゲームなどとともに伝統文化である和紙技術も注目されるようになった。
また、人だけでなく、原料のグローバル化は進んでいる。日本の食文化に国際化の波が押し寄せ、和紙原料もコウゾ、カジノキに関してはタイ、ラオス、ミツマタは中国、ネパール、ガンピはフィリピンなどである。外国産の原料を活用する道も新しい道である。
他方、成熟社会は、車社会・情報化社会へと成長し、交通網の整備で「和紙の里」へのアクセスは容易となり、和紙の漉き場は観光、レジャーの場ともなった。
そのために、地域起し一種の事業として、一時廃絶した紙漉きを行政的な支援を得て、復活する地域も各地で現れた。それ故、「和紙の里」の数は逆に高度経済成長期よりも増加しているのである。しかも、情報化社会は、これまでのように場所を選ばず、ネット網で販売もできるという社会に変えた。個人でも生産販売が可能となったのである。
本書を編集するとき、訪問した「和紙の里」が初出の原稿内容とどのような変動が起こっているかは、大きな問題であった。多くはインターネットで調査して、当時と現在を比較して書き直しした。当然、漉く職人の交代、環境の変化などはあった。しかし、改めて後継者としての漉く人の職人魂と環境はかなり継承されていると思った。そして、私が和紙を学んだ「和紙の里」の道筋は、次世代の人が辿っても役立つと確信した次第である。ただ、一番困ったのは、町村合併で地名が変わっていることであった。これも出来るだけ訂正した積りであるが、見落としがあることを怖れる。
本書の紀行は、いずれもぶっつけ本番で、予備調査はなされていない。それだけに、好奇心を持って、出来るだけ、正確に、詳細に見学するように努めた。見間違い、聞き間違いなどを恐れず、伝統ある和紙技術のふるさとを、不(ふつつか)束ながらガイド出来れば、望外の喜びである。
末尾ながら、本書の原稿はすべて、公益財団法人「人紙の博物館(東京・北区)の機関誌『百万塔』に掲載されたものを一部書き直したものである。また、本書の表紙題字は愛媛県四国中央市の紙のまち資料館・前館長金崎峰萃(本名治信)氏によるものである。力強い美しい大事で表紙を飾ることが出来たことを深謝致します。
なお、本書に採録した15ヶ所の和紙の里以外にも、筆者は巻末にリストした地域にも足を運んでいる。もし合わせて、読んで頂ければ、幸甚である。
著者 平成25年7月27日 記
〔構成各章和紙の里の出典リスト〕
序 章 和紙技術探索のガイダンス~近代化と競う紙漉きの気概~初出
第一章 那須烏山程村紙の里(栃木県・下野)
百万塔 第72号、46~61頁、1989年1月
第二章 細川紙・小川和紙の里(比企郡小川町・東秩父郡秩父村=埼玉県・武蔵)
百万塔 第66号、63~77頁、1986年12月
第三章 八尾紙の里(八尾町=富山県・越中)
百万塔 第53号、46~63頁、1982年3月
第四章 加賀二股和紙の里(金沢市二股町=石川県・加賀)
百万塔 第96号、31~49頁、1997年2月
第五章 越前和紙の里(越前市=福井県・越前)
百万塔 第97号、20~33頁、1997年7月
第六章 甲州和紙の里(市川三郷町市川大門・南巨摩郡身延町西島=山梨県・甲州)
百万塔 第59号、61~80頁、1984年8月
第七章 美濃和紙の里(美濃市蕨生=岐阜県・美濃)
百万塔 第60号、55~73頁、1984年12月
第八章 黒谷和紙の里(綾部市黒谷町=京都府・丹波)
百万塔 第75号、25~44頁、1990年1月
第九章 名塩和紙の里(西宮市塩瀬町名塩=兵庫県・摂津)
百万塔 第63号、24~37頁、1985年12月
第十章 因州和紙の里(鳥取市佐治町=鳥取県・印旛)
百万塔 第56号、66~84頁、1983年4月
第十一章 石州半紙の里(濱田市三隅町=島根県・石州)
百万塔 第57号、71~87頁、1984年1月
第十二章 阿波和紙の里(吉野川市山川町=徳島県・阿波)
百万塔 第62号、65~89頁、1985年4月
第十三章 南予和紙の里(喜多郡五十崎町・西予市野村町=愛媛県・伊予)
百万塔 第62号、26~45頁、1986年8月
第十四章 土佐和紙の里(吾川郡仁淀川町岩戸=高知県・土佐)
百万塔 第94号、25~33頁、1996年6月
第十五章 八女和紙の里(八女市=福岡県・筑後)及び名尾和紙の里(佐賀市大和町名尾=佐賀県・
肥前)
百万塔 第58号、50~72頁、1984年4月
終 章 編集を終えて 初出
〔著者の「和紙の里」紀行記の発表一覧〕
著者の主たる「和紙の里」紀行記を下記に示す。ただ、「身の周りの紙文化」として「月刊くらしと紙」(紙業タイムス社)に連載した論説は除く。同誌掲載の主要なものは『和紙博物誌』(淡交社 1995年)にまとめているためである。
[一]北海道の探訪
(一) 北海道の紙と織紀行
その一、民芸手帳、通巻第289号、14~23頁(1982.6.1)
その二、民芸手帳、通巻第290号、20~30頁(1982.7.1)
その三、民芸手帳、通巻第291号、38~44頁(1982.8.1)(分割掲載)
[二]東北地方の探訪
(一)岩手県
東山紙紀行~機械漉きから手漉きへ~、
百万塔、89号、26~36頁、1994.11
(二)山形
山形県白鷹町の深山紙探訪
百万塔、78号、25~43頁、1991.2
(三)宮城県
①タパと紙衣の旅~白石紀行~
百万塔、50号、54~59頁、1980.9→『和紙周遊』
②最初にヨーロッパに渡った鼻紙
くらしと紙、24(12)、12~16頁、1989.12
[三]関東地方の探訪
(一)栃木県
下野・烏山程村紙を訪ねて~手漉き和紙の新しい経営戦略~、
百万塔、72号、76~61頁、1989.1→本書第一章
(二)茨木県
常陸西の内紙探訪~直販体制が活路~、
百万塔、70号、74~90頁、1988.4
(三)埼玉県
細川紙探訪記~先端技術と観光に活路を求める首都圏の紙郷~
百万塔、66号、63~77頁、1986.12→本書第二章
[四]中部地方の探訪
(一)富山県
越中八尾紙探訪記
百万塔、53号、46~63頁、1982.3→本書第三章
(二)石川県
加賀二俣紙探訪記~バブル経済崩壊後の伝統紙漉きのチャレンジ~
百万塔、96号、31~49頁、1997.2→本書第四章
(三)福井県
①越前和紙と若狭和紙のコントラスト~、
福井の紙郷探訪記(一)かみと美、4(2)、12~16頁、1985.11.1
福井の紙郷探訪記(二)かみと美、4(3)、14~18頁、1985.11.1 分割掲載
②越前奉書探訪記~九代目岩野市兵衛氏を訪ねて~
百万塔、97号、20~33頁、1997.7→本書第五章
(四)富山・石川・福井三県
北陸三県の紙郷探訪記~金沢・富山・八尾・五箇山及び今立~
(其の一)百万塔、82号、15~36頁、1992.6
(其の二)百万塔、83号、49~66頁、1992.9 分割掲載
(五)山梨県
中富町西島と市川大門の和紙探訪
百万塔、59号、61~80頁、1984.8→本書第六章
(六)長野県
信州の手漉き和紙探訪~立岩紙と内山紙~
百万塔、86号、26~43頁、1993.11
(七)岐阜県
①美濃紙訪問記~移り変わる障子紙の伝統~
百万塔、60号、55~73頁、1984.12→本書第七章
②美濃和紙の里会館探訪記~紙と明かりの芸術演出~、
百万塔、97号、45~63頁、1997.7
③和紙製作用具の作成状況~全国手漉和紙用具作成保存会長・古田要三四に聞く~
百万塔、92号、41~53頁、1995.10
(八)静岡
修善寺紙の再興~伊豆長岡紀行~、補遺~『修善寺物語』の紙砧再考~、
百万塔、69号、55~67頁、1988.1
補遺 百万塔、80号、12~14頁、1991.9
(九)愛知県
紙工芸の里・愛知県小原村を訪ねて~過疎村から日展作家の村へ~
かみと美、3(1)、厳冬号、8~13頁、1984.2.1
[五]近畿地方の探訪
(一)滋賀県
近江雁皮紙探訪記~伝統技術の中の近代化~
その上 かみと美、5(2)[通巻13]、18~21頁、1986.11.11
その下 かみと美、6(1)[通巻14]、10~12頁、1987.5.9 分割掲載
(二)京都府
丹波・黒谷和紙探訪~団結と女性で支えられる~
百万塔、75号、25~44頁、1990.1→本書第八章
(三)兵庫県
①名塩紙探訪記~土地開発で揺らぐ泥入り溜漉きの紙~
百万塔、63号、24~37頁、1985.12→本書第九章
②播磨・杉原紙探訪~町立製紙工場を媒介とした町起こし事業~
百万塔、93号、30~46頁、1996.2
[六]中国地方の探訪
(一)鳥取県
①青谷紀行 因州和紙を育む風土
民芸手帳、272号、30~36頁、1982.9.1
②因州佐治村を訪ねて~ヤル気村への転進
百万塔、56号、66~84頁、1983.4→本書第十章
(二)島根県
①石州半紙紀行
百万塔、57号、71~87頁、1984.1→本書第十一章
②出雲民芸紙紀行
百万塔、61号、3~22頁、1985.4
(三)岡山県
①御用紙漉きの備中檀紙
くらしと紙、24(7)、14~18頁、1989.7
②ミツマタ最多の生産県・岡山県の現状~備中和紙・樫西紙・箔合紙~
くらしと紙、26(11)、8~13頁、1991.11
[七]四国地方の探訪
(一) 徳島県
①山崎忌部神社と三木文庫~紙祖神と藍と太布を求めて~、
その一、民芸手帳、283号、14~20頁、1981.12.1
その二、民芸手帳、284号、8~15頁、1982.1.1 分割掲載→『四国は紙国』
②阿波和紙の淵源を探る~阿波忌部と荒妙と南張紙~
百万塔、62号、65~87頁、1985.8→本書第十二章
③阿波の高越山を登る(阿波紀行)~もう一つの忌部神社を求めて~
百万塔、67号、45~52頁、1987.4→『四国は紙国』
④阿波拝宮紙探訪~那賀川上流の障子紙~
百万塔、76号、12~30頁、1990.5→『四国は紙国』
(二)香川県
①高松市における檀紙の痕跡
百万塔、79号、21~29頁、1991.5→『讃岐の紙』
②讃岐・高松の紙漉きの祖地探訪記
百万塔、87号、26~33頁、1994.3→『讃岐の紙』
③讃岐の造田紙探訪
百万塔、91号、25~32頁、1995.6→『讃岐の紙』
④平賀源内記念館の企画展「金唐革紙~革から紙へ~」開催に当たって
百万塔、193号、44~68頁、2011.6
(三)愛媛県
①伊予・周桑紀行~伊予奉書紙の里国安及び石田を訪ねて~
その一、民芸手帳、278号、8~17頁、1981.7.1
その二、民芸手帳、279号、8~15頁、1981.8.1(分割掲載)→『四国は紙国』
②南予の紙郷を行く~大洲半紙と泉貨紙~
百万塔、62号、26~45頁、1986.8→本書第十三章
③伊予・新宮村の手漉き探訪、
百万塔、81号、15~25頁、1992.2→『四国は紙国』
④現代の紙祭り 伊予・川之江の紙祭り探訪
百万塔、50号、66~75頁、1980.9→『四国は紙国』
(四)高知県
①現代の手抄き障子紙~土佐・高岡紀行~
百万塔、53号、64~72頁、1982.3→『四国は紙国』
②土佐和紙・新之丞伝説の真偽
かみと美、7(2)[通巻16]、9~14頁、1988.11.25→『四国は紙国』
③土佐典具帖紙の現況
民芸手帳、277号、8~15頁、1981.6.1→『四国は紙国』
④土佐・吉野川沿いの山間手抄き探訪
その一、民芸手帳、281号、8~13頁、1981.10.1
その二、民芸手帳、282号、8~13頁、1981.11.1(分割掲載)→『四国は紙国』
⑤仁淀川上流の山間手抄き探訪
その一、民芸手帳、285号、8~15頁、1982.2.1
その二、民芸手帳、286号、8~15頁、1982.3.1(分割掲載)→『四国は紙国』
⑥土佐清張紙探訪~原料から道具まで自作する紙漉き~
百万塔、94号、25~33頁、1996.6→本書第十四章
⑦土佐に誕生した大濱紙を巡って
百万塔、135号、83~112頁、2010.3→『四国は紙国』
[八]九州地方の探訪
(一)大分県
豊の国の手漉き紙探訪~佐伯紙と阿蔵紙の現況~
百万塔、90号、23~36頁、1995.2
(二)福岡県
①八女紙・名尾紙紀行~九州の手漉き紙の現況~
百万塔、58号、50~72頁、1984.4→本書第十五章
②その後の八女手漉き紙~紙工芸へのアプローチ~、
百万塔、85号、25~34頁、1993.5
(三)長崎県
日蘭文化交流の窓を訪ねて~長崎の「オランダ」散策~
百万塔、77号、10~17頁、1990.10
【目次】
全国和紙の里マップ
全国和紙の里一覧
序章 和紙技術探索のガイダンス~近代化を競う紙漉きの気概~
第一章 那須烏山程村紙の里(那須烏山市=栃木県・下野)
第二章 細川紙・小川和紙の里(比企郡小川町・秩父郡東秩父村=埼玉県・武蔵)
第三章 八尾紙の里(八尾町=富山県・越中)
第四章 加賀二俣紙の里(金沢市二俣町=石川県・加賀)
第五章 越前和紙の里(越前市=福井県・越前)
第六章 甲州和紙の里(市川三郷町市川大門・南巨摩郡身延町西島=山梨県・甲州)
第七章 美濃和紙の里(美濃市=岐阜県・美濃)
第八章 黒谷和紙の里(綾部市黒谷町=京都府・丹後)
第九章 名塩和紙の里(西宮市名瀬町名塩=兵庫県・摂津)
第十章 因州和紙の里(鳥取市青谷町・佐治町=鳥取県・因幡)
第十一章 石州和紙の里(浜田市三隅町=島根県・石州)
第十二章 阿波和紙の里(吉野川市山川町=徳島県・阿波)
第十三章 南予の和紙の里(喜多郡内子町、西予市野村町=愛媛県・伊予)
第十四章 土佐和紙の里(吾川郡仁淀川町岩戸=高知県・土佐)
第十五章 八女和紙の里(八女市=福岡県・筑後)及び名尾和紙の里(佐賀市大和町名尾=佐賀県・肥前)
終章 編集を終えて
構成各章和紙の里の出典リスト
著者の「和紙の里」紀行記の発表一覧
〔全国和紙の里一覧〕
和紙の里は時代により変化しているが、ここでは、最新の全国手漉き和紙連合会の全国産地マップで取り挙げられている産地県のを代表的な紙名の呼称で示し、それに番号を付けて表示した。同マップに漏れた産地については、菊池正浩著『和紙の里 探訪記~全国三百か所を歩く』で補完し、◎印で示している。
○印の数字と全国和紙の里マップ(前頁)の数字とは対応している。また、→で示したのは、著者の単行本に再録されている紀行記である。
一.北海道・東北ブロック
(1) 北海道
①笹紙 北海道雨竜郡幌加内町字平和
②富貴紙 北海道白糖郡音別町
(2) 青森県
◎弘前の高野紙 弘前市紙漉沢
(3) 岩手県
②東山和紙 岩手県一関市東山(とうざん)町
②成島和紙 岩手県和賀郡東成島
(4) 宮城県
③白石紙 宮城県白石市→『和紙周遊』
③丸森紙 宮城県伊具郡丸森町
③柳生和紙 宮城県仙台市太日区
(5) 秋田県
④十文字和紙 秋田県平鹿郡十文字町
(6) 山形県
⑤月山和紙 山形県西村山西川町
⑤高松和紙 山形県上山市高松
⑤長沢和紙 山形県最上郡丹形町長沢
⑤深山和紙 山形県西置賜郡白鷹町深山
(7) 福島県
⑥上川崎和紙 福島県安達郡上川崎
⑥遠野和紙 福島県いわき市遠野町
⑥山舟生和紙 福島県梁川町
◎茂庭和紙 福島県福島市飯坂町茂庭
◎鮫川和紙 福島県東白川郡鮫川村
二.関東ブロック
(8) 茨城県
⑦五介和紙(西の内紙) 茨城県那珂郡山方町
◎助川郷紙 茨城県日立市助川
◎鷲(とり)の子(こ)紙 茨城県常陸大宮市美和→本書第一章
(9) 栃木県
⑧烏山和紙 栃木県那須烏山市→本書第一章
◎鷲(とり)の子(こ)紙 栃木県那須烏山市→本書第一章
◎飛駒(彦馬)和紙 栃木県佐野市飛駒町
(10) 群馬県
⑨桐生和紙 群馬県桐生市梅田
(11) 埼玉県
⑩小川和紙(細川紙)埼玉県比企郡小川町/秩父郡東秩父村→本書第二章
◎流泉紙 埼玉県比企郡鳩山町
(12) 千葉県
(13) 東京
⑪軍道紙 東京都あきる野市
◎浅草紙 東京都台東区浅草
(14) 神奈川県
三.中部ブロック
(15) 新潟県
⑫小国和紙 新潟県刈羽郡小国町
⑫門出和紙 新潟県柏崎市高柳町門出
⑫小出和紙 新潟県東蒲原郡上川村/東蒲原郡阿賀町小出
◎十全紙・高松紙 新潟県五泉市村松
◎越後小国和紙 新潟県長岡市小国町
◎牧村和紙 新潟県上越市牧区
(16) 富山県
⑬越中和紙(越中八尾紙)富山県富山市八尾町→本書第三章
⑬越中五箇山和紙 富山県南砺市東中江/南砺市上梨
⑬蛭谷和紙 富山県下新川郡朝日町蛭谷
(17) 石川県
⑭加賀雁皮紙 石川県能美郡川北町中島
⑭加賀二俣和紙 石川県金沢市二俣町→本書第四章
⑭能登仁行和紙 石川県輪島市三井町仁行
◎市原紙 石川県白山市吉野
(18) 福井県
⑮越前和紙 福井県越前市大滝町→本書第五章、『和紙周遊』
⑮若狭和紙 福井県小浜市和多田/小浜市下田
(19) 山梨県
⑯西島和紙 山梨県南巨摩郡身延町西嶋→本書第六章
◎市川大門和紙 山梨県西八代郡市川三郷町市川大門→本書第六章
(20) 長野県
⑰内山紙 長野県飯山市瑞穂/下水内郡栄村/下高井郡野沢温泉村
◎信州松崎和紙 長野県大町市社松崎
(21) 岐阜県
⑱中山和紙 岐阜県吉城郡河合村
⑱美濃和紙 岐阜県美濃市蕨生/関市武芸川→本書第七章
◎揖斐谷の美濃和紙 岐阜県揖斐郡揖斐川町
(22) 静岡県
⑲駿河柚野紙 静岡県富士宮市芝川町上柚野
◎修善寺紙・色好紙 静岡県伊豆市修善寺
(23) 愛知県
⑳小原和紙 愛知県豊田市小原地区
四.近畿ブロック
(24) 三重県
21伊勢和紙 三重県伊勢市大世古/伊勢市粟野町
21深野和紙 三重県飯南郡飯南
(25) 滋賀県
22なるこ和紙 滋賀県大津市桐生二丁目一四―二六
(26) 京都府
23黒谷和紙 京都府綾部市黒谷町→本書第八章
23丹後和紙 京都府福地山市大江町二俣
◎網野和紙 京都府京丹後市網野町網野
(27) 大阪府
◎湊紙 大阪府泉北郡(現・境市堺区東湊町・西湊町・出島町)
(28) 兵庫県
24淡路津名紙 兵庫県淡路市里二九五
24杉原紙 兵庫県多可郡加美区鳥羽
24名塩紙 兵庫県西宮市塩瀬町名塩→本書第九章
24ちくさ雁皮紙 兵庫県宍栗市千種町河内
(29) 奈良県
25吉野和紙 奈良県吉野郡吉野町窪垣内
◎国(く)樔(ず)産紙 奈良県吉野郡吉野町国樔
(30) 和歌山県
26高野紙 和歌山県伊都郡九度山町
26保田和紙 和歌山県山県有田郡清水町清水
26山路紙 和歌山県田辺市龍神村
五.中国ブロック
(31)鳥取県
27 因州和紙 鳥取県鳥取市青谷町青谷
27因州和紙 鳥取県鳥取市佐治町福園→本書第十章
(32) 島根県
28出雲民芸紙 島根県松江市八雲町
28石州半紙 島根県浜田市三隅町→本書第十一章
28斐伊川和紙 島根県飯石郡三刀屋町
28広瀬和紙 島根県能義郡広瀬町
◎石見和紙 島根県鹿足郡津和野町
(33) 岡山県
29堅西和紙 岡山県真庭郡久世町堅西
29備中和紙 岡山県倉敷市水江
29横野和紙(美作紙)岡山県津山市上横野→『和紙周遊』
(34) 広島県
30大竹和紙 広島県大竹市防鹿
(35) 山口県
31徳地和紙 山口県佐波郡徳地町
六.四国ブロック
(36) 徳島県
32阿波和紙 徳島県吉野川市山川町→本書第十二章、『四国は紙国』
32拝宮和紙 徳島県那珂郡那珂町拝宮字井ノ元→『四国は紙国』
(37) 香川県→『讃岐の紙』
(38) 愛媛県
33伊予和紙 愛媛県四国中央市→『四国は紙国』
33大洲和紙 愛媛県喜多郡内子町/西予市野村町→本書第十三章
33周桑和紙 愛媛県西条市国安地区/石田地区→『四国は紙国』、『和紙周遊』
(39) 高知県
34土佐和紙 高知県土佐市/吾川郡いの町/高岡郡/加美郡/長岡郡→本書第十四章、『四国は紙国』、『和紙周遊』
七.九州ブロック
(40) 福岡県
35八女和紙 福岡県八女市/筑後市溝口→本書第十五章
◎甘木和紙 福岡県朝倉市秋月
(41) 佐賀県
36重橋和紙 佐賀県伊万里市南波多町
36名尾和紙 佐賀県佐賀郡大和町名尾→本書第十五章
(42) 長崎県
(43) 熊本県
37水俣和紙 熊本県水俣市袋
37宮地和紙 熊本県八代市宮地
(44) 大分県
38竹田和紙 大分県竹田市吉田
38弥生和紙 大分県南海部郡弥生町
◎九重和紙 大分県玖珠郡九重町 ◎湯布院紙 大分県大分郡湯布院町川上
(45)宮崎県
39美々津和紙 宮崎県日向市美々津町
(46) 鹿児島県
40さつま和紙 鹿児島県姶良(あいら)郡姶良町
◎蒲生和紙 鹿児島県姶良市蒲生町上久徳
◎伊崎田紙 鹿児島県志布志市有明町
◎鶴田和紙 鹿児島県薩摩郡さつま町神子
(47) 沖縄県
41琉球紙(芭蕉紙) 沖縄県那覇市首里儀保町
【著者紹介】
〔著者〕
小林 良生
【内容紹介】
ユネスコ無形文化遺産にも登録決定となった日本の和紙技術、その現場を訪ねたガイドブック全国編。 「紙の博物館(東京・北区)」の機関誌『百万塔』に掲載されたものに追調査を施し再編。製紙技術研究者である筆者が、和紙漉きの現場で出会った風土や技術、職人の人間性などを綴った、体験的記録に基づく探訪形式のレポートである。和紙技術をとおして、日本文化の基盤が分かる1冊。著者の前著「讃岐の紙」に続く“和紙3部作"第2部。